中学英語を「くるくる寿司」と言ってみても、
高校英語を「バイキング料理」と言ってみても、何ら英語勉強の前進的なものは出てこない。
で、それならば「瀬戸内の英語」をもう一度立ち上げよう、ってことになった。
中学英語授業を再開する。
外からの声は聞こえていた。
一つは中1生の親御さんからの電話で「英語が分からないのです。得点はホドホドなんです。
でも、英語を学んでいる、英語が分かっている、という実感がないのです」。
また
「なんだかテンで分からないのです。三・単・現が出来ていたり、出来ていなかったり、
過去形が分かったような、受動態が出来るような、なんだか勉強しているって
実感がないのです」との同じく中2生のご父兄からの電話。
その都度、問題集・参考書を紹介し、勉強方法を伝えてみた。
が、どう考えても相手に伝わってというシックリした気持ちが湧きあがってこない。
決定打は先日の新入りの高2生の言葉である。小テストが終わった後で、
「受動態の復習プリントを下さい」との申し出に、高1用の態のプリントを手渡すと、
「中学英語のプリントを下さい」とのこと。感激してしまった。
自覚があるってこと。分からない個所が分かっているってこと、それを知ろうと
一歩踏み出したってこと、だ。
ここに私が出来ることがある個所がある、と思った。
ヒョットすれば、中1生で、or 中2生で英語が「分かっているのか分からないのか
分からない」状態の学生がいるのではないか?と思う。
イヤ、いないかもしれない。私が開講しようとしている講座はこのような学生1名のためにある。
もう一度be動詞と一般動詞から、いや、そんな言葉も分からずに中学英語を始めて
気付けば、なんとなく分かっている、宙ぶらりんな英語状態を解消したい、
こんな学生のための英語講座、ここをスッキリさせる英語授業をやりたい、
この気持ちでこの講座を開く決心をした。
全く学校英語とは異なる。コミュニケーション英語でも、オーラル英語でも、
学校の定期テストの得点を上げるたもの英語授業でもない。
ただただ文法から考える、文型から練習を組み立てて、英語の一文一文を
完成していく、全く泥臭い英語勉強である。
このコースを開講するときに頭に浮かんだのは、
「英語という魚のさばき方を学ぶ英語授業」である。
魚を三枚に下ろすか、二枚にするか、内臓をいかに取りだすか、
頭の落とし方、うろこの除き方、etc. と言った、英語のという魚の最初の最初の
処理の仕方を学ぶコースを作ることである。
この勉強の効は、もしあるとすれば、半年後に、10ッ月後に、「おおお〜、そうだったのか
あの料理教室で学んだことはこれだったのか!」と気付く、この程度であろう。
効率も、カッコよさも、見せ場も、なんんんんもない。
英語という魚を基本に忠実に美しくさばく、ここだけを学ぶ講座である。
この勉強手法に関心がある学生は1名か2名だと思っている。
それでOK.である。
この勉強手法が今の英語勉強に最も必要とされていると強烈に思っている。
激しく感じている。絶対に必要だと信じている。
この思いだけでこのコースを設定するだけの十分な理由が私にはある。
頑張ってみようと思う。確信を持って勉強指導をしてみようと思っている。
再度の中学英語の開始である。
「中学英語短期集中講座」に関して
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