瀬戸内英語学院 「思うがままに」

教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸にきざむこと。
「思うがままに」ってことで 嬉しいこと、感動、驚き、幸せ、などを「思うがままに」記してみよう。
そして、不平、不満、も、ポジティブに、が、エクセントリックにやっていこう。
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年末年始の妄想妄言あれこれ(7)


 先ほど年越しそばを頂くのに帰宅。で、TVを見ると「紅白なんとか」である。

うへへへへへへへへ、何十年ぶりだろうか。

歌手は知らない、それに字幕がなければ歌詞が聞きとれない、最も驚いたのは

バックダンス(っていうのかなァ〜?:メチャ不安)。

コリャ何だ!

最後に「紅白」を観た時にゃ藤間流の踊りなんかがあったような、イヤ〜、古〜〜〜〜〜!

今浦島である。で、家内が席を立っている間は「ダウンタウン」でバカ笑い。

いやいや、結構なもんだ。


 さてさて、今年も残り1時間ばかり。

 今年は「気づき」の年であった。

今時の新高校生は3つのグループに分かれる。

This is a rare book. の和訳を求めたときに、

「分かりません」と言い、「どこが分からないの」に「rare」ですと返事をする、

「では辞書を引きなさい」と言えば、

第1グループ: (驚いて) エッ!オレが辞書をひくの。

第2グループ: (ニッコリと) あの〜〜〜、どの単語を引けばいいのでしょうか?

第3グループ: はい。

で、私の観察では、

第1グループ: 教えてもらうこと、教えられることに慣れ切っている生徒。

第2グループ: 超要領のいい、1つだけの解法を持っている生徒。

第3グループ: 訥々とした勉強をしてきた生徒。

恐らく高校入試を推薦でパスした生徒たちの8割が第1・2グループであろう。

この入試システムがなくなるとのこと、香川県にしては怖ろしく早い決断。

大正解である。

第1・2グループで難関大学までの強い勉強姿勢をキープできるものは、多くて3割であろう。

高校入学だけが人生の目標になり、入学後はまるで余生であるかのように過ごすものがいる。

部活を楽しみ、勉強をチョボチョボor定期テスト範囲を欠点ギリギリで通過するものたちである。

オッと、過激な言葉だ。まァ、イイ。この欄の訪問者は多くて10名くらいだ。



 で、来年からは入塾者をトコトンにしごいていく。ナニ?今もしごいている、って。まァ、いい。

来年の2月からは2時間勉強とする、の新たな挑戦である。

多くの入塾者である必要は全然ない。1クラス8名前後かな〜、って感じである。

高1生たちの第1〜3グループの全員をいわば受験士官生にしていく。

受験勉強をする学生集団を作っていく。勉強をする塾生集団である。

私はこのような塾を作っていく。

ドキドキしている。

さらに「瀬戸内」は進化し、深化していく。

こりゃ本心。


 大学が二極化している。バンバンと推薦入学者を取る大学、この制度の入学者を減らす大学。

大学の方向性が見える。大学はサバイバル期に、ある意味チキンレースとなった。

高1生が大学を卒業するまで7〜8年がある。

大学は学生たちの自己確立の場であると私は思っている。

学生もご家庭もその選択を安易にできない時代になっている。


 塾生には限りなく勉強をしてもらる。そのための「瀬戸内英語学院」である。

来年もさらにうちの塾は進化・深化していく。


 よき年になることをお祈りしています。


  平成24年 大晦日 





| setouchi-eigo | 思うがままに | 23:05 | - | - | pookmark |
年末年始の妄想妄言あれこれ(6)


 明日の補習科生授業が今年最後の授業である。


 高1・2生の授業は終わっている。一年最後の授業の〆は毎年ながら決まっている。

授業が終わる。「良い年を」と私が塾生に挨拶をする。

その時に、受講生が「ムニュ、ムニュ」とか、単にうなずくだけのことがある。

で、「先生も、良いお年を」と言うのです、と強く指導する。

以前は少々気恥ずかしいものがあった。近年はキッパリと言わせている。

礼に始まり礼に終わる、である。


 これは私には「一期一会」の挨拶である。




| setouchi-eigo | 思うがままに | 23:51 | - | - | pookmark |
年末年始の妄想妄言あれこれ(5)


 前回の妄想妄言で「大慾」と書いていたのだが、

一方(ひとかた:卒塾生)から「ソリャ何?」とのお訊ねである。

で、大慾を書くには、フェルマー先生ではないが、チョッとこの紙面がちっこい。

そこで、小慾をくらいなら大丈夫であろう。


 私の小慾は、次の教室の完成である。

その教室、いやハコモノである。その建物は回廊をもつもの、である。

その一辺50メートル。モデルは法隆寺のもの。

中庭は芝生とする。その上を歩けるのは、卒塾生、ゲスト、講師、教授、のみである。

在塾生は禁止である。

麓にある入山口からは長谷寺の登廊に似た石廊があり、建物本体の玄関にいたる。

小高い丘に建て、朝日と夕日を浴び、・・・。

 ちっちゃな慾である。

 Fちゃん、如何であろうか?次回はキミの小慾を聞かせてください。


 それにしても、年末ジャンボをまたも買い忘れた。サマージャンボを買わなければ、だ。

 さてさて、Good night!である。 いい夢が見られそうである。




| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:07 | - | - | pookmark |
年末年始の妄想妄言あれこれ(4)


 羨ましく思う度合いは、最近、グッと低い。いや、その座標は第3象限にあろうか。

高級外車に乗り何とかドリンクを頂きつつドラライブも、イイナ〜とは思っても、さて、

この車を停める場所は家にはない。

自家用ジェットでキューバ産の世界最高とかのシガ―を吹かし、コニャックとシャンペンを

卓に置かれても、さてさて、このflying machineを駐機する場所が我が家にはない。

羨ましいとは思うが、車から出て2分、飛行機を降りて5分もすれば、雲散霧消となる。


 が、You are wasting your talent. と書かれた言葉を友だちから聞かされた時の

妬む炎は衰えることなく、いや、むしろ最近ではその熱は白金色となり燃えている。

 あれは、大学2年生の時だから、かなり古い。

彼は「オイ、答案にこんなことを書かれてネ」と小さな声で言った。後のことは覚えていない。

激しく彼に嫉妬した。

You are wasting your talent.

この言葉はC先生から彼のテストペーパー余白に書かれたメモである。

教室外ではアメリカ人独特のホスピタリティーで生徒たちを遇した。

が、教室内ではこれほど厳しい先生はいない。

何とかオレもこの言葉は欲しかった。

で、Sir Gawain and the Green Knight を必死で頑張った。

微に入り細に渡って読み込んだ。

で、結果は「同じ本を読んでの答案でしょうか?」とのお言葉である。

次の挑戦は、現代英文学での「The Moon and Sixpence」である。

これもケチョンケチョンの評価を受け、大学4年ではChaucerの作品。

発表途中にして「時間が迫っています。手短に」と限りなく冷たい言葉であった。

最後まで彼に並ぶことはなかった。いやその足元までも行けてないことを悟った。

You are wasting your talent. これはその才能を認められた人にかけられる言葉であった。

いまだにこの言葉には狂うほどの妬みをもつ。


 ある時、その彼が私に言った「オイ、その和訳はイイね」。

この彼の言葉が今の私を作っているといっても過言ではない。


 妬み。これは私の財産と言える。人さまを羨む気持ちはほぼ無くなっている。

オレが枯れた人間になっている、って? そりゃ、大間違いだ。

私には慾がある。大慾がある。ちょっとナイショではあるが、深い深い深い慾がある。

また後日の話となるか、ナ?















| setouchi-eigo | 思うがままに | 02:07 | - | - | pookmark |
年末年始の妄想妄言あれこれ(3)


 新年の暦が掛けられ、さてどの日を最初に見るかによって年齢わ分かるようだ。

若かりし頃は、来年の誕生日は?とカレンダーを捲ったものだ。が、

今更である。


 で、最初に見るのは、それは休塾日である。楽しい、楽しい、待ちに待った休塾日である。

入試発表後の3月末にある1週間のお休み!!!!! こう書きながらゾクゾクとしている。

今年の予定は・・・・・・・・・・・・である。思っただけで涎が止まらない。


 次に見るのは年末・年始の授業日である。

今年! 30日(日)は no class 31日(月)は補習科生授業、1日(火)は高3授業、

2日(水)は高3授業、3日(木)からは全クラスが平常授業となる。

元旦から授業である。当然である。受験生は合格発表日が元旦である。

かれらと共に私はいる。彼らの合格発表日が私の新年の開始でもあるのだ。

ノープロブレムである。


 それだけに春休みが待ち遠しい。



 あの桜が待っている。うううううううう、頑張ろう!





| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:09 | - | - | pookmark |
年末年始の妄想妄言あれこれ(2)



 某所で若者たちが買い求めるスナック菓子を衝動的に買う。

一つは「Old Style Kettle Cooked Potato Chips: Salt」 薄味。好みの味ではあるが、

「うまい!」と自習室生が声を上げているほどのものではない。

他の一つは「Haribo Happy Cola」 で、けったいな味である。

「センセイ〜、どこで買ったの?」とかの声。ある若者は「凄い!」とかの歓声が聞こえる。


 ことほど左様に若者とおじさんとでは味覚差がある。

エッ!なに、爺ちゃん先生だって、まァ〜イイ。

灘校の橋本武先生と比べれば、小生はまだまだ鼻たれ小僧。


 やつらの好みを知るのは食感から入るのもアリか。

うnnnnn〜、まァ〜、うなるほどでもない、か。

それでも気になる「Happy Cola」の味。けったいなり。





| setouchi-eigo | 思うがままに | 12:19 | - | - | pookmark |
年末年始の妄想妄言あれこれ(1)


 妄想妄言に少々の本心を入れながら、あれこてと、である。


  今日出席の高3生だけにクリスマスプレゼントがある。例のブツである。

 これで彼らは「梟組」の資格者である。

 龍安寺のものである。

 この寺は禅宗である。

 「禅」ときけば、座禅を思うであろう。座禅と聞けば、「無心」という言葉が浮かぶ。

 「無心」とは「一つのことのみを思い、他を捨てている心の状態」と私は思っている。

 受験も同様である。


  弓道に嵌り込んだ。60の手習いである。5年間幾千、いや万を超える矢を射た。

 ある時期、中り(アタリ:的中)がなくなった。

 師匠に尋ねた、「どのようにすれば中るのでしょうか?」

 師匠の答えは簡にして要 「的を狙いなさい」。

 「御意」。

  
何も考えない。ただただ的を前にして行射する。相手は的である。

 的は動くことはない。無心になり、矢を放つ。

 弓を行うことが、しばしば、「立禅(りつぜん)」と呼ばれるのはここにある。


  受験をするとは、座禅・立禅をすることである。

 「勉強をどのようにすればよいのでしょうか?」と問われれば、

 「目前の問題を解きなさい」と私は応じる。

 グチャグチャと考えない。

 目前の志望校の過去問を解く。

 ただただ解く、解いて、解いて、解いていくだけである。それ以外に何があろうか。


 受験は禅である。 



| setouchi-eigo | 思うがままに | 23:46 | - | - | pookmark |
耳施と眼施


 夕刻に「かねごん先生」より電話を頂く。

二言三言の会話であったのだが、その施しを頂く。

声質で私は幸せを感じることがある。一方(ひとかた)は一度だけお会いし、1分くらいの会話、

もう一方は幾度かお会いしているのだが、さらに話をお聞きした方、そして、

金田先生である。いつの日か塾を退いた折、一関でお会いしたい。


 10時の授業終了後にメイルを開ける。「東京 瀬戸内会」とかの写メイルあり。

大人になった塾生たちがいる。教室では見せなかったほどの生き生きとした

顔・顔・顔・顔そして顔 である。彼らは大人になっていく。

よくよく眺めていると、私の方がオロオロと彼らについている幻想を感じる。いやそれが実相?


 耳施を頂き、眼施を頂く。深謝、多謝なり。




| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:25 | - | - | pookmark |
例の年末ブツ


 を入口ドアのところに用意しています。

帰省時に立ち寄ってください。「ご自由に」とあります。

私がいれば、Hello!と一言、いなければ I'm home. とメモを、ですよ。

「ご自由に」です。


| setouchi-eigo | 思うがままに | 23:51 | - | - | pookmark |
走れ! 全速力で走れ!


 受験期を前にして言ったことがある。

 ある野球部の監督から聞いた言葉である。

「バントをすれば、走れ、全速力で走れ、一塁を目指して、走れ、走れ、走れ!」である。

「仮に投手正面のゴロであろうと、全速力で走れ。

アウトかもしれない。セーフかもしれない。それは関係ない。

バントをするえば、走る。走る、走る、走る、である。

全力で走る限り、セーフになる可能性は少なくとも3つある。

1つ目は、ピッチャーがポロリとエラーをする場合、

2つ目は、ピッチャーがファーストに暴投する場合、

3つ目は、ファーストが落球する場合、である。

全力で走っていれば、一塁セーフである。

と、部員に命じる」 である。

 さらに、ここで件の監督は私に教えてくれた。

「この時に、『ど〜せアウトになってもですか?』 とか

『二塁まで走ってもいいですか?』 とか

問う選手がいる。こりゃダメである。バントをして常に全速力で走る選手、これが伸びる。

これが正選手として残っていく」 と。



 受験勉強は「バントをする」に似ているところがあると思っている。

受験期を前にしてこの話をして。で、「過去問をしなさい」と言った。 

過去問勉強をしない、という塾生もいる。

「過去問は過去に出た問題であった、同じ問題が出題されないから」 の理由である。また、

「毎年毎年クルクルと変化するので、過去問をしても無駄です」 の理由である。

過去問をしておく理由は、単語レベル、文章レベル、問題の取り組み方、etc. を知るためである。

塾では「シス単」を標準としているが、それ以上にどのレベルの単語難度があるのか?

塾テキストの解釈力で大丈夫?塾テキストの総合演習問題よりも長文?設問形式?etc. と

知ることは多くある。

過去問がバラバラだと云う。では、どの程度に毎年変化をしているのか?

解釈2問、英作2問が、翌年は、会話の穴埋め問題と発音問題と自由英作?

それでは5年分をジックリ研究して、解釈2題+英作2題の対応、

全然異なった場合の対応、と攻め方を考えておくことが出来る。

全然その対応なしで、出たとこ勝負で十分に勝算があるほどの受験力を付けていればOK.だ。

頑張ってくれ。

私は過去問をするべきだ、と言った。コツコツとするべきだ、と言っている。

 野球のバントと同様だと信じている。 


 過去問を全くしなくて、うまくいった卒塾生がいる。

それでも、A大学の過去問をガンガンにやって、結果はB大学合格である。

過去問をやりまくって、それでもうまくいかなかった卒塾生もいる。

C大学の勉強をこれでもか、これでもかとやった。が、残念な結果であった。

 結果は分からない。が、彼らは勉強をした。ひどく勉強をした。激しく勉強をやった。

「バント」は行われた。結果は分からない。それでも彼らは全力疾走をした。

走って、走って、走って、走った。私は彼らを誇りに思っている。尊敬している。


 
バントはなされた。走れ、走れ、走れ、走れ、走れ、

ただただ一塁目指して走る。

勉強して、勉強して、勉強して、勉強して、勉強をする、今はその時である、と信じている。

走る時に、走る。勉強するときに、勉強をする。頑張るときに、頑張る。

このように私は強く思っているのだ。




| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:29 | - | - | pookmark |
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