瀬戸内英語学院 「思うがままに」

教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸にきざむこと。
「思うがままに」ってことで 嬉しいこと、感動、驚き、幸せ、などを「思うがままに」記してみよう。
そして、不平、不満、も、ポジティブに、が、エクセントリックにやっていこう。
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我が塾の役目が見えてきた (6) 


 英語は読んで解らなければならない。

英文が読めなければならない。読んで理解できなければならない。

英語は日本語と全く異質の言語である。これを解き明かすベストの方法はナンであろうか。

例えば今日の高2の解釈問題を書いてみよう。

  He had crossed the main road one morning and was descending
a short street when Kate Caldwell came out of a narrow side street
in front of him and walked toward school, her schoolbag
bumping at
her hip. He followed excitedly, meaning to overtake but lacking the
courage. What could he say to her? He imagined his
stammering voice
saying dull, awkward things about lessons and the weather ・・・.


 この赤字部分のキチンとした解釈が出来ないとすれば、この状況の「絵」が浮かんでこない。

この「〜ing」型はどのような意味内容を持っているのかを知らなければならない。

これがそれぞれ「進行形」内容、「付帯状況の分詞構文」、「知覚動詞と同等扱いの語+

目的語+〜ing型 (第5文型)」、「現在分詞の形容詞的用法」、と考えていかねばならない。

これらの全ての用法はそれぞれ塾では終了している用法である (オッと、使いこなせるか

否か、は別問題ではあるが )。


 この語法をキッパリと理解していく、それを高1時に完成しておく。そして、その手法は極めて

初歩的なものである。いわば「Kumon方式」であり、算数の「百ます計算」方式である。

これが高1での勉強方式である。これを今年の1年生より例年の3倍ほど密度を濃くして

実行している。そして現在は分詞構文の高密度な演習問題をやっつけている。


 これが「瀬戸内英語」の「骨」の部分であり、「肉」は「構文 101」であり、「血」は「実トレ」である。

これで「体」を作っていく。基礎体力を作っている。足腰の丈夫な「体」を作っていくのである。

ここが「我が塾の果たすべき役目」であると信じている。


 英語は読めなければダメだ。そのために私の塾は全力を尽くす。


 来年より高校生だけの英語に特化した塾となる。


 オッと、またまたタイムオーバーである。


 次に。




| setouchi-eigo | 思うがままに | 22:58 | - | - | pookmark |
我が塾の役目が見えて来た (5)

伸びる子供を伸ばす。その指標としているのは次の問題である。

 1) He has a bag.
 2) He has to write a letter.
 3) He has already written the report.

高校入学後のテストで上記3文の否定文・疑問文の正解率は?

 4) He is busy.
 5) She is not busy.
 6) Are they busy?

高校入学後に上記4)〜6)の未来形 / 現在完了形書き換えの正解率は?

 7) She made a doll.
 8) Did Mr. Brown invite many students to the party?
 9) When did Tom take these pictures?

高校入学直後に上記3文を受動態への書き換えが正しくできる率は?

 10) 昨夜だれがここへ来たのですか。
 11) 昨夜だれがここへ来たのか知っていますか。
 12) 昨夜ここへ来た少年たちは息子の友だちです。

高校入学後に完璧英作?


 結局はここまでの完全答案作成を今年の高1生には求めてきた。いや、今も求めている。

 ここまでの能力が整って、「完了形不定詞」も「完了形動名詞」も「完了形分詞構文」も一応の形が出来始めている。少しずつ、少しずつ納得をしはじめている。

 ようやくにして「使役動詞 make の受動態」、「知覚動詞の受動態」のto不定詞の理解が出来始めている。

 ようやくにして「完了形の受動態」、「助動詞を用いた受動態」ができるようになっている。

 高校生になって入塾する生徒で3回の塾授業を受けて、フト「私の英語は不完全であったでは?」と思う子、中学時代の英語定期テストで90〜94点、診断テストで40〜43点を取っていて、周辺からは英語が合格点だとみなされているのだが、本人は英語実力に80%の不安を感じている子、この生徒たちは高校英語でも伸びる。

 
これと同じ得点を中学時代にとりながら、・・・。

 少し微妙になる。次回に書いてみよう。

 オッと、これは私の塾での話、完全私見である。




| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:34 | - | - | pookmark |
我が塾の役目が見えてきた (4)


 我が塾の勉強方法は「只管打座」とする。ここから始まる。


 書いては消し、消しては書いている。

ただただ勉強をすること。その勉強方法である。

もう少し考えよう。頭のなかにはそのプログラムがある。

それを今年から実践している。

焦る思いがある。最早待てない。ますます待てない思いがある。









| setouchi-eigo | 思うがままに | 23:55 | - | - | pookmark |
我が塾の役目が見えてきた (3)


 早く表題の結論に行かなければならないのだが、えらく手間暇がかかっている。

が、あと少し待って頂きたい。


 前回の文で入塾試験での算数の問題を書いた。

(5−2.25)×(0.11−2.3)×(0.75ー3/4)×(1.2−0.81) である。

この式で私が受験生に注目して欲しいのは第3項目なのである。一連の問題を

長い目で見られるかどうかを計っているのだ。この形式の計算問題を毎年出題をした。

入塾試験の算数は150点(計算問題125点、面積問題10点、応用問題15点)である。

いわゆるできる生徒は130点以上をとり、2・3年に一度は150点満点の受験生がいた。

 入塾試験は国語もある。こちらは漢字問題、かな付け問題、諺etc.の常識問題、

これが50点、そして私が最大に注目していたのは、文章筆写問題である。これは難しい。

縦書きの日本文を、横書きに書きなおす問題である。日本文学作品ばかりか、

立花隆、藤原正彦、塩野七生、「天声人語」、「春秋」、etc. それに「枕草子」、「徒然草」、

「方丈記」etc. までを適切に3〜4点組み合わせて、各150〜250字を書くことになる。

誤字・脱字、句読点の写し間違いは3点の減点である。

この筆写問題で極めて偶に満点者が出現した。凄いとしか言いようがなり。

いわゆるできる生徒は130点以上をとる。


 で、何を言おうとしている?この入塾試験で合計250点以上の生徒はいわゆる

難関大学にほぼ合格をした、ってことである。これだけの得点をとる能力は

一朝一夕に付いたものではなく、将来を示すものがあることだ。入塾試験の申込者には

前年度の入塾試験を手渡している。さらに、「同一形式ですよ」と念をおしている。

「勉強をしておいてね」と駄目を押しておく。この試験形式は入塾試験を開始してから

ほぼ変化していない。またまた横道にそれるが、入塾試験は採点をした後に

採点された試験用紙と全受験生の得点表を添え合否を書いてご家庭に郵送してきた。

完全にフェア―を期してきた。情状はないのである。


 さてさて、この算数と国語の入塾試験での高得点者が難関大学へ合格している。

これは小学校時代の演習能力の高い学生ほど中学・高等学校での学習に対応する

能力が高いことを示していることになる。勉強することへの作業能力が高いのである。

これは私の約40年の経験である。この経験則は崩れる気配がない。


 これがここ数年のいわゆる「学力崩壊」現象のなかで、我が塾が果たせると思える

役割部分がある。



 次回は最終回にできるだろう。今日もここでタイムアップである。








| setouchi-eigo | 思うがままに | 01:15 | - | - | pookmark |
我が塾の役目が見えてきた (2)


 前回で「ゆとり教育」によると思える生徒の質問力劣化を書いた。

その景色の好例をあげよう。

3・4年前の入塾テスト算数で以下のような計算問題が含まれていた。

(5−2.25)×(0.11−2.3)×(0.75ー3/4)×(1.2−0.81)

受験生の一人が自信に満ちた顔つきでキッパリと手を上げて「センセイ〜、

この問題はできません」とのたまった。試験時間中である。唖然!

もう一つの例はある高校生に仮定法過去と仮定法過去完了の説明をした。

で、「解りましたか?」と訊ねると、「ハイ、解りました。それがなにか〜?」と発した。

彼ら両者ともに素直な良い子である。だが、彼らはもはや在塾していない。

彼らには解らないことへ立ち向かう胆力、底力、腹から湧き出る力が希薄である、

もしくは退化してしまっているのではなかろうか。大きな意味では未知なるものへの

畏怖の念or畏れ戦く本能が最早ないのではなかろうか、と思ってしまうのである。


 対極にあるもう一つの例は、最早2昔前と言いっても良いほどのものである。

ある高校生が入塾の申し込みに来た。「英語がサッパリです。テンで解らないのです」と

親御さん一緒に生徒募集の新聞折り込みを手にして来塾した。丁重に入塾をお断りして、

家庭教師orアトホームな塾でシッカリと基本から勉強をしなさい、とアドバイスをした。

が、彼らは頑としてそれを受け入れず「ここで勉強をしたいのです。入塾をします。

入ってダメであれば断って下さって結構です。入塾を決めるのは私であって、

この塾での勉強成績がダメならば、退塾を受けます」と宣言した。恐れ入ってしまった。

 最初の頃は2.3の基本的な質問だけであったのだが、その後は全然問題もなく、

最終的には辞書組生として卒塾した。大学合格の報をもって挨拶に来た。

その当時は塾生に受験校を訊くことはなかった。「京都大学へ入学します。

そこで数学の勉強をします。英語が全然ダメであると言ったのは、

京都大学を受験するには力が不足している、と言う意味です」の言葉を残した。

(オッと、Sくん元気だろうか?また帰省の折には立ち寄ってください。

あの頃はフェルマーを話していましたが、それが終了し、ポアンカレ―も終わり、

今はリーマンになっていますね)。



 このSくんの解らない個所への姿勢は、問題と自分との対決姿勢が明確であることだと

思えるのです。勉強が個人の問題であることが、より明確になっていると思えるのです。

疑問に対する謙虚であれる力と言いも良いのでしょう。彼の勉強に向かう姿勢は

私の塾が学校名に関係なく塾生をむかえている気持ちをより確実なものにしてくれ、

塾の方針が間違っていない心をより固くもしてくれました。



 以上のことは私の塾だけの話である。最大12名、最少3名のクラス構成の塾である。

しかしこの小さな塾でもこの「空気」が感じとれる。感覚であって、

数値があるわけではない。「解らないもの」に対して一般に心が鈍化しているのと、

それに対して謙虚である極端な例をあげたわけだ。

この変化は少しずつ起こったものではない。ここ3年の間に劇的に起こったことである。


 この「空気」の原因を云々することには私はほぼ興味・関心がない。




 現在のこの「空気」の圏外にいる塾生が幸運なことにいる。ここにいる。


 またまた タイムアップである。次回になりそうだ。申し訳ない。






| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:16 | - | - | pookmark |
我が塾の役目が見えてきた(1)


 間違いを訂正することへの怠慢、or 解らない個所を理解できるようにする姿勢の劣化が

突然に激しく見られるようになったのは2年前からであろうか。この原因はなんであろうか?

と大いに悩んだ。で、この怠慢であること、理解する努力がないことを引き起こしているのは

2点からしか考えられなかった。1つは私の指導力の欠如、他の1つは教材の不適切さ、

である。ここをトコトンに絞って英語を教えてきたつもりである。

が、ここにきてもう1つの要因があるのではなかろうか、と思えるようになっている。


 それは「間違い個所」or「解らない個所」への学生の取り組みである。「間違い・

解らない個所」とは征服するべきもの、もしくはバトルをするべきもの、との考えがひどく

希薄になっていると思えてしかたがない。それらに対して淡白なのである。

「ふん〜、そうなの。間違いなの。で、それがどうしたの!?」って顔である。淡白生は辛い。

うちの塾では小テストではボーダーを越えられないのである。残念である。

学習能力の問題ではない、問題が発生した場合の対処能力が問題なのである。

この力がひどく退化もしくは死滅しているのである。この点にフト行き当たった。


 では、それはどこから発生したのであろうか?と考えてみた。

その大因はいわゆる「ゆとり教育」にありそうだ。授業日数と教科内容が減少した

ことで起こったことは、端的に言えば「正解を与えることに腐心した」ことではなかろうか。

学校の先生は真面目である。あれも教えこれも覚えて欲しいと思う。でも授業数はない、

テキストは薄っぺらくなり、英語ならば単語数・文章数が3割減となっている、

このなかで従来の力を養成してい、と望む場合、どうしても正解を導く作業が先行する。

間違いをしてこれをたたき台にして正解を導く時間が惜しい、正当な導き方に力が入っていく、

で、間違いからの思考回路が狭まってくる、やがてこの回路は閉鎖される、

正解だけの道が残る、間違いからの指導は許されない、この論になるのではなかろうか。


 私は決して、決して学校に責任があると言っているのではない。子供に責任があると

言っているのではない。この責任はこの制度を作った大人にあるのである。


 と、ここまで書いてタイムアップである。


 これは後日続けなければなるまい。







| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:49 | - | - | pookmark |
Don't be afraid of making mistakes.


  野球部員のある中学生がお迎えの車を待つまで間にフト言って。

 「うちの監督は練習中にエラーをしても、それがナメたものでなければ、

 叱ることはありません。監督は『試合でエラーが出ないように、練習でエラーをしろ。

 いかにすればそのミスがでないかを考え、練習をしろ』 言います」、とのこと。


   同じことが勉強でも言えるのではなかろうか。間違いをしても、その誤りの根っこを

 勉強することで正すことが出来でれば、新たな知の領域を獲得することが出来ると

 私は信じている。だから、この塾では間違いをすることを恐れてはならない。そして、

 間違った後の正しい考え方を得ることの努力を惜しんではならない。

 間違いとその訂正、これが底力を持つための絶対に確実な方法である。 


  間違うことを恐れるな。





| setouchi-eigo | 思うがままに | 23:56 | - | - | pookmark |
鬼塾


 「17点の壁です」と高1塾生が言ったことがある。


 塾の高1小テストは1問3点、問題数は通常25問、ただし満点は50点。

間違い数×3点を満点より減点していく方式であう。

で、ある高1塾生が「17点の壁です」と涙目で言ったことがある。

(今年のある塾生もそうである。親御さんからのメイルで知った。)

この時の私の返事は「そうですか。頑張ってください」であった。

このような科白を私に向かって吐く生徒はボーダーをクリアーする。

事実、この塾生は月後半より20〜30点を取りだした。安心はできなかったが

卒塾となった。「センセイが鬼に見えました」の言葉を残した。

そうです、私は鬼です。諸君も勉強では鬼になってください





| setouchi-eigo | 思うがままに | 00:58 | - | - | pookmark |
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